「美味しんぼ」最新話、鼻血の原因は「被ばく」と言明 福島県は反論
福島県「不安感を増長」、小学館に抗議 「美味しんぼ」:朝日新聞デジタル


既に結構大きな問題になり多くの人に知られるところになりました、「美味しんぼ」による放射線被曝表現問題です。
この原発事故の問題というのは僕個人的にはもう大体解釈が済んでますので、この問題を知った時には「まだこういう感じの人がいるんだ」と思っただけでした。

その後興味を持ったのは作者である雁屋哲氏が批判的な意見を多く受けているにも関わらずストーリーを曲げずに続行する事を宣言したからです。

最近フジテレビが「阿呆方問題」で小保方氏を揶揄したコントを自粛するような動きがありました。
最近はこういった表現を巡って炎上し、撤回や謝罪に追い込まれる案件が跡を絶ちません。
そんな炎上案件の中にはなぜ批判されたからといって折れるのか良く分からないものも多くあります。
個人を中傷したり悪意のある風説を流すようなものでなければ別に自粛する必要はないんじゃないかと思います。

阿呆方問題を例にとってみます。
あれは放送されていないので詳しい内容はわかっていません。概要は説明がありましたが意図するところまでは説明がありませんでした。
批判されたのはテレビ番組欄で「阿呆方」という文字が出たからです。この時点でアウト(中傷表現)と考える人に批判されたために放送自粛に追い込まれたわけです。
恐らく番組側としては内容には自信を持っていたでしょう。でなければ明らかに批判されそうなタイトルを付けないからです。
「内容には自身があった。しかしタイトルで批判され日和った関係者によって自粛となった。」
と言うのがこの話の本筋でしょう。

僕はこの阿呆方問題が起きためちゃイケという番組を見たことがないんですが、ナインティナインの番組というのは知っています。
これがビートたけしだったらどうだったでしょうか。自粛されたでしょうか。
僕は予定通り放送され「さすがたけし、切り込み難いところをお笑いに変える天才だわ」と賞賛されていたんじゃないかと思います。

話を美味しんぼに戻します。
同じようにこれが「美味しんぼ」でなく「ゴルゴ13」だったらどうでしょうか。
「デューク東郷!いつ福島に?」
「……用件を聞こう」
「失礼しました。無駄話はお嫌いでしたね。実はあの原発事故のことです」
「俺の仕事はスナイプだ。頼む相手を間違えたな」
「待ってください!ゴル、いやデューク東郷!この街の人々の命がかかってるんです!あなたしかもういないのです!」
「……続けろ」
「ありがとうございます!実はあの事故以来鼻血が止まらないんです。毎日出ます」
「……俺もだ。理由を知りたいと思っていた」
「あなたもですか!……放射能のせいです。同じような人が大勢いるのです」
「確かか?」
「はい!間違いありません!放射能をあなたの力で止めて欲しいのです!」
「俺のルールは知っているな?もし嘘なら命で償ってもらうことになる」
「も、もちろんです!」
「入金確認後取り掛かる」
「おお!ありがとうございます!これで町民の命が救われます!」

(数日後)

「ズキューーーーーン!!」
(福島編完)
さすがゴルゴ。批判する隙が無いですね。

結局こういった場合の批判の理由なんて印象でしか無いということです。
突っ込みやすい内容、言いやすい相手、そして批判しやすい雰囲気。これが批判される大きな原因です。
もし東京電力がこの問題で「美味しんぼはけしからん」と言ったらそれも批判されるでしょう。それくらい適当なんです。

何かを表現する以上批判は必ずあります。この場末のブログにも批判は来ます。
特に上のような条件が揃えば多くの批判がされるでしょう。
しかしそれは予め想定しておくべきで、矜持があるなら批判されたからといってすぐに撤回・謝罪というのはいただけません。表現の自由は保証されているんですから(多分)。
もちろん批判する側にも表現の自由があるわけで中傷などでなければ批判する権利は保証されているわけです。
そしてこれらは賛否両論という形で世に提示され世論が形成されるという民主主義のプロセスです。

その意味で美味しんぼと小学館が批判に負けずに掲載を続けるということは歓迎すべきことです。それは僕の意見とは違いますが恐怖心やその思考プロセスは理解できます。内容に間違いがあるにせよ彼らには彼らの道理が存在するのです。

美味しんぼ問題で改めて思ったのは、本当に批判されるべきことは外野から撤回・謝罪を求め、矮小な正義感を満足させるためにするエゴイズムによる批判だということです。
特に政治家の発言にはうんざりします。

美味しんぼ描写、閣僚ら相次ぎ批判 「偏見を助長」:朝日新聞デジタル

彼らが「美味しんぼによって風評被害が広がった」という根拠無しにこういうことを言っているのなら彼らこそが偏見を助長しているのではないでしょうか。